母の見送りが、いつしか父を応援する会に・・・。

2024年7月3日、母が亡くなりました・・・・。

その後の、通夜・葬儀の打ち合わせ、父のフォロー、お寺のご住職様との打ち合わせ・・・

など、進めなければならないことが多くあったことで、気持ちは平静を保ててました。

一番気がかりなのは、父のこと。

あまり、落ち込ませないで、母を父の気持ちを納得させる形で送らせてあげることが一番、と目指すことを祖母りました。

仕事関係には極力知らせず、家族葬で家族と、親戚だけで見送ることにしました。

・あの、泣かせる声と泣かせる音楽の流れの司会は立てない

・おくりびとをお願いし、母を、とびっきり綺麗にしてもらう

・みんなで、母と一緒に泊まり、父を一人にしない

・食事は、わいわいがやがや、盛り上がって、量もたくさん、たくさん、いただく。体重増は気にしない。

・寝るのも、お布団をならべて、わざと雑魚寝

・父がおしっこのそそうをしても黙って処理する

・父に、お酒も飲ます

・喪主は父、最期の挨拶をしてもらう

・なるべく、杖を使い、父、一人で歩かせる 段差があるところ以外は、介助しない

・介護関係者が顔を見せてくれたときも、笑顔で、母の過去の面白かった話をする

・会館のスタッフとは、常に笑顔で話す

特別なことではないけれど、上記のことを繰り返し、徹底しました。

通夜、葬儀、骨上げ、初七日までを2日間でこなし、最期の挨拶で父にマイクを渡しました。

父は、杖も持たず、細い身体で、マイクを使わず語りだしました。

笑顔で、母とのなれそめを話し、悲しい・寂しいを言わずに、これからも私は頑張ります!と宣言しました!

家族からは、よっ! と掛け声が上がります。不謹慎ですが、全員、父を盛り上げたい思いだったのでしょう。

母を見送る会が、父を元気づける時に代わっていました。

父も一言、良い式だった。みんなと過ごせて、良かったと私に言いました。

このまま、自宅に連れて帰れば、一人で寂しい思いをするだろうと考え、夕方には、普段の服装に着替えさせて

特養に送り届け、ショートステイでお願いしました。

今は、悲しみ・寂しさは、既に、いっぱいになってきていますが、通夜・葬儀の二日間、涙を流さなかった分、空も快晴の二日間でした。

みんなで過ごす時間は、やはり、いいものだと感じる母の見送りの二日間でした。

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