すき焼きの夜

3月5日火曜日の夕食はすき焼きにしました。

翌日には、父が完全に納得状態ではない施設、入所予定の日だから。今は、記憶ができなくなっている父に、「あの時のすき焼き旨かったな」と覚えておいてほしかったからだ。

コロナが5類になったとは言え、高齢者施設では、未だに、面会も自由でなく、当然、外出・外泊は、許されていない。

入所となれば、もう、面会の10分した顔を合わせて会えなくなるのだ。

入所に至った経緯はそれなりにあるし、妥当な決断ではあるが、娘としての心情は、①本人が納得はしていない ②単純に寂しい の2点で悲しい気持ちだ。

自分の家で、寝たきりになり、やがて、最期を迎えたいという気持ちはわかるが、その思いは、会社経営をしている私にはかなえてあげることなどできない。

ただ、安全に安心できる環境で母と二人で呑気に過ごしてほしいという思いのみである。

ほんの2,3日の宿泊のつもりで父は、入所したが、入所先が終の棲家になるのだ。

これまで帰宅後、おむつの履き替えや、着替えなどを行い、30分ほど分けのわからない話に付き合い、寝かせていたが、もう、その時間は必要なくなったのだ。

後のことを考えずに仕事はできる、でも、これを食べさせてやりたい、あれを料理して喜ばせてやりたいという思いは、不要となる。

フルーツも父の好きな柑橘系を購入することも、もう不要。

大きな声で、喧嘩することも不要。トイレにうんちがついていると文句をいうことも不要。せっかく作った夕飯を残すことに文句をいうことも不要。汚れた下着を、そのまま洗濯機にいれておくことに怒鳴ることも不要。

ただただ、寂しいだけ気持ちだけが残る。

施設では、帰るといって迷惑をかけていないか、他の方々と仲良く話せているか、ご飯はしっかりと食べているか、父のことばかり案じています。そして寂しいです。

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